総合法律センター阪神相談所 ・弁護士会阪神支部

弁護士会阪神支部の歴史(ヒストリア秘話「あまべん」)

戦前は、伊丹区裁判所尼崎出張所が当地を管轄とする裁判所でした(旧裁判所構成法)。
1936(昭和11)年の改正弁護士法で、弁護士による法廷外での法律事務独占も認められましたが、同尼崎出張所では登記事務のみの取り扱いであったためか、当地にも田口正平ほか数名の弁護士が居たものの、彼らが何らかの共同体や団体が構成していたという記録はありません。たぶんそのような団体は存在しなかったものと思われます。

1947(昭和22)年、日本国憲法が施行。当地を管轄する裁判所として、神戸地方裁判所尼崎支部(乙号支部=裁判官が単独で審理できる事件のみ取り扱う裁判所)が置かれることになりました。

1949(昭和24)年、弁護士法が改正され、弁護士は、国家権力から独立して活動すべき存在であること、いわゆる弁護士自治が認められ、兵庫県に神戸弁護士会が設立され、同会の承認を得て同会尼崎支部(地裁尼崎支部・同伊丹支部・尼崎簡裁・伊丹簡裁・西宮簡裁の管轄区域である尼崎市・西宮市・芦屋市・伊丹市・宝塚市・川西市・猪名川町の弁護士によって構成される団体)が設立されるに至りました(当時は弁護士が少なかったこともあり、地裁尼崎支部のみならず、地裁伊丹支部管内に事務所を有する弁護士も弁護士会尼崎支部の会員でした。後に伊丹支部は分離されることになりました。)。

1957(昭和32)年、地裁尼崎支部が甲号支部(本庁と同様、3名の裁判官で審理される合議事件も取り扱える裁判所)に昇格しました。会員弁護士数も少しは増えてはいましたが、それでも数名~10名という規模でした。当時のことを知る会員によれば、「草創期にあたる、昭和40年ころの弁護士会尼崎支部会員は、近隣地域の同業者より『奇人・変人の集まり』『あま弁、ドロ弁』などと揶揄されていた。」そうです。
「ドロ弁」というのは、「泥臭い」「垢抜けない」という意味で、まさか「ドロボウ」という意味ではないと思いたいのですが、実際のところ、いい加減な仕事をする(というか、熱心に仕事をしない)弁護士の看板を利用して、事務所の事務員が事件屋まがいのことをしていた事例(いわば門前の小僧に経を読ませるようなもの。「非弁」「非弁まがい」行為)も実際にみられたそうです。

1975(昭和50)年、弁護士会尼崎支部の会員数は23名まで増加しました。当時の兵庫県全体(神戸弁護士会)の弁護士数は290名(うち女性は8名)で、神戸本部(213名)・姫路支部(33名)に次ぐ、大きな勢力になりました。裁判所尼崎支部のワ号事件(第1審の通常民事訴訟事件)も、昭和30年代と比較して、昭和50年には約40%も増加しました(昭和32年416件→昭和49年570件)。

2014(平成26)年8月、尼崎市のみならず、当支部の管轄区域内である西宮市・芦屋市に事務所を持つ会員も相当数増加したことや、神戸弁護士会も「兵庫県」弁護士会へと名称変更したことに鑑みて、「兵庫県弁護士会阪神支部」として新たなスタートを切りました。

その後、昭和・平成を経て、2021(令和3)年3月31日時点で、148名もの会員を擁する、神戸本部に次ぐ、県内最大の人数を擁する弁護士会支部(法人格なき社団)となっています。